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次に行きますかね

2017/ 07/ 08
                 
主治医に障害固定の診断書を書いてもらった
ついに夫も福祉のお世話になることになった

寝たきりで一人では何もできない夫だが
いざ障害者として認定されることに
私はいささかの戸惑いと悲しさを感じている

決して障害というものに対する差別の心ではない
けれど、何だろう
これまで長い闘病生活を送るなかで、そのある時期まで
夫はもっと良くなる、確実にそう願い信じていたので
それが叶わなかったという意味での悲しさだ

「回復の可能性なし」
そう書かれた診断書を前に
自分の中でひとつの戦いが終わった気分だ

戦いが終わったことで、
私の中の前を睨みつけるような闘志が消えた
それと同時に過去の夫への憎しみまで消えてしまった

夫を憎むことで前に進めていたのだとしたら
何とも変な話だと思う



最近は病院に向かう車の中で、夫のことを思うと
かわいそうで泣けてくる

これまで大きな手術を幾度も受け
2年近くの時間、闘病を続けてきた
それでももう人並みに生きることが出来ない

夫の異常行動にはさんざん苦しめられたので
きっとバチがあったったんだ、
夫を見ながら、冷ややかにそう思ったこともある
何度もある


けれど、もし本当にバチがあったんだとしたら
神様、もうそろそろいいんではないですか…
最近はそんなふうに思う

これまでは夫への憎しみで突き動かされてきたし
思い出すのも嫌なことばかりだった

それなのに、最近は楽しかったことなどを
思い出すようになってしまった
そんなことも結構あったのだということに驚く


様々な思いがミルフィーユのように重なっている
嫌なこと、辛かったこと、
上の方にはそんな層がカチカチに固まっていて
下の方にある思いまで全然たどり着けない
自分の心の中をずっとそうイメージしていた
カチカチだった上の層がいつの間にか溶けてしまったようだ



休みの日、夫と出かけたついでに
よく立ち寄ったスーパーがある
夫はやけにそのスーパーを気に入っていたが
私はあまり好きではなかった

夫が入院してから行ったこともなかったその店で
この頃はちゃっかり買い物をしている
何とも不思議なものだ


なんて、何だか全てが終わったような感傷的なことを
書き連ねてみたが、夫は生きているわけで
なにも生への望みが絶たれてしまったわけでもない

次は新しいステージだ
諦めるべきところは諦めることが出来た

障害者として生きる夫に寄り添っていくこと
そして自分の人生を生きること
それが今の私に出来ることだ




6月最後の週末、バラが咲き乱れる素敵な場所へ行った

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家族の思い

2017/ 06/ 24
                 
去年の6月
夫の容態が急変した
それは、もう何度目か、という急変であったが
こればかりはさすがに慣れるということはない

この時は肺炎からの敗血症だった
髄膜炎の感染症で頭の治療を続けていたのだが
それがようやく終わり一安心したところで
今度はからだへの感染症だった

地獄に突き落とされるこの感じ
一体何度経験しただろう
どこまで打ちのめされればいいのかと
さすがの私も落ち込んだ
夫に対して実に複雑な思いを抱えつつも
「命」というものを前にするとそんな思いも
一瞬にして吹き飛んでしまう
(そして容態が落ち着くとまたよみがえるw)


ありがたいことにICUでの抗菌治療によって
急変を告げられた翌日には循環機能が持ち直し
腎臓へのダメージも回避できた

ホッと一息、この日はとても嬉しくて
ICU帰りに娘のお土産にとケーキを買って帰った
去年の6月8日のことだ

その日の夕方、海老蔵さんの会見をニュースで見る
進行がんの奥さんの入院が1年8ヶ月になると語っていた
病人を抱える家族の苦しみが、その淡々とした口調から
痛いほど伝わってきて、泣けた

人の辛さを自分と比較するなんてよくないことだと思いつつ
海老蔵さんは1年8ヶ月、私はまだまだ8ヶ月
自分より長く苦しみつつ頑張る人の姿を見て
当時の私は激しく勇気づけられた

心を突き動かされるほど元気が湧いてきて
そのまま庭に出て数週間ぶりにバラを撮ったことを思い出す


たまたま前の年に、友達の付き合いで
海老蔵さんの「源氏物語」の特別公演を観に行っていた
客席を歩いてくれたので、手が届くくらいの位置で
源氏姿の海老蔵さんを観たのだが、特にファンでもなかったし
正直なところ感動の嵐、とまではいかなかった

だが、この時のテレビの会見には本当に感動してしまった
なんだかこれって皮肉な気がするのだが


ついつい自分の立場から、
家族である海老蔵さんのことばかり書いてしまったけれど
なんといっても病人の頑張りが一番
その頑張りに励まされた人がどれほど多かったことか


最後まで笑顔を忘れずに強く優しく生き抜いた小林麻央さん

ご冥福を心からお祈りいたします



                 
        

可愛いビンが捨てられない

2017/ 06/ 16
                 
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かれこれもう2年くらい断捨離をやってる
最初は確実なるゴミやガラクタを捨てていた
これってキチンと暮らしてきた人には
多分不要な工程。

うちは夫婦してダラしなかったから
この工程にとても時間がかかってる
ずい分がんばって片付けてきたつもりでも
捨て去るべきものがまだたくさん残っている


一度片付けたつもりのところを
あらためて見直してみる
あらまぁ。
あちこちに未練のカケラたちが散らばっている

断捨離には根気と時間が必要だな〜としみじみ思う

昨夜は、食器棚の戸棚の一箇所を見直してみた
お菓子作りの道具アレコレと空き瓶を入れてある
数ヶ月ほど前にかなり処分したつもりだったが
まだやたら多くの空き瓶が並んでいた
いつか使う…
でもそのいつかがやってこないんだよね
思い切って大半を捨てることにした
だけど、いくつかの小さなビンが捨てられない
未練だなぁ

その他に、
スポンジケーキ、パウンドケーキ、パイの焼き型
ご丁寧にどれも二つずつ持っていたので
各々一つずつを捨てることにした
子供たちが小さい頃には大活躍したけど
今はもうあまり使わない


人生のあれこれ、色んなこと削ぎ落として生きよう
そう思ってはいるけれど
「もうお菓子なんか作らない、全部捨てちゃえ」
なかなかそこまで思いきれない

これは未練なのか、
はたまたかすかに残るやる気なのか
自分でもよく分からない

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ゆるす ということ

2017/ 06/ 12
                 
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許すということはなかなか難しい

夫は頭の病気なんだから。
あんなこと、こんなこと
夫のしてきた奇行、愚行の数々は
全て病気のせいなんだから。

一生懸命そう思おうとしたけれど
ムリだった

そんな許すことの出来ない相手が
寝たきりの病人になってしまった
もう夫の側から離れることもできないけれど
かと言って許すこともできない

許すことができたらどんなに楽になるだろう
ずっとそう思ってきた

でも許すということはなかなか難しいのだ



先日の本の話の続きになるのだが
『日本の言葉の由来を愛おしむ』という本の中に
「ゆるす」という言葉について書かれたページがあった

「ゆるすことは難しいことです」
そう始まる2ぺージの文章
自分の思いと重なる言葉が嬉しかった


「ゆるす」というと「許す」や「赦す」の漢字が頭に浮かんで
「百パーセント承認する」ことを迫られているように思う。

でも日本語の「ゆるす」は心を「ゆるめる」こと。
ぎゅっと絞っていた心の入り口を少しゆるくする、
そんな心の広げ方が本来の「ゆるす」の意味です。

語源をたどれば「ゆる」は「ゆるキャラ」や「ゆるめる」と同じ。
「ゆるす」とは「ゆるい」状態にすることなのです。
(本文より)



分かりやすく優しい文章が心に響いた
ずっとずっと許さなければ、そう思ってきたけれど
少し肩の荷物が軽くなったような気がした



これまで心理の本とか禅の本とか
「ゆるすこと」に関するものを何冊か読んだけれど、
正直あまり心に響くものはなかった

不要なものを手放しなさい、
見方を変えなさい、
あるがままを受け入れなさい、
過去でも未来でもない今を生きなさい、
私の読んだ本には、概ねそんな言葉が並んでいたような気がする
それは分かる。だけどそれが出来ないんだから。


『日本の言葉の由来を愛おしむ』の中の
シンプルな2ぺージに出会えて良かったと思う

心の入り口をゆるめる
「許す」ではなく「ゆるす」

心の中でそっとイメージしてみる




                 
        

澄んでなくて濁ってるけど

2017/ 06/ 10
                 
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先週、久しぶりに図書館に行った
残念ながらお目当の本は貸し出し中で
その上ずいぶん多くの人が予約待ちしてた
半年くらいムリかな

予約もせずに行くとやはりダメだね
新しくて読みたい本はほぼ貸し出し中だ
でも、せっかく行ったし老前整理の本とか
片付けの本とか数冊を借りてきた


昨日本屋に寄ると、借りたかった本が積んであった
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
他の方のブログで拝見し読みたくなった本だ
やっぱり読みたい、買っちゃえ

「住むとは心が澄む状態で過ごせること。」
「住む」=「澄む」
なんかいいじゃないですか〜

今のわが家は、夫も自分もゴタ濁りの心だけれど
憧憬の思いを込めて読んでみよう

私は、飲んだり食ったりとても行儀悪く本を読むので
本は借りるより買う派だった

近年の断捨離マイブームで、数えきれないほどの本を
手放したが、本なんか買うもんじゃないな、って何度も思った
高かったのに…って本でも、売るとなると雀の涙
まぁ、リサイクル出来ればいいか、とあきらめたけど

諸処の事情で、以前に比べ本の購入は激減したけれど
それでも時々は買ってしまう

最近だと、小川糸の「ツバキ文具店」みたいに
泣けるほど良かった、って本もあったし
植本一子の「家族最後の日」みたいに
お願い、お金返して!ってのもあった




家族に病人がいるっていうだけで
何だか妙に卑屈な気分になることがある
こんなの私だけかもしれないけど…
本を読むとか、花を飾るとか、買い物行くとか
そんな人並みのことをするのにフト変な罪悪感を感じたりする
よく分からないんだけど、いわゆる普通じゃないのに、自分は。
って感覚。

映画に行ったり、友達と飲みに行ったりは平気でしてるくせに
よく言うよ、って感じだけど(笑)

そういう気晴らし、みたいなことは大手を振って楽しめるんだけど
ふとした日常生活にこそ卑屈な思いがよぎったりする

なんかバカみたいだね
普通に胸はって生きてたらいいじゃんって
そう思うんだけどね



午後から病院行って、帰ったら少し本を読もう
こんな私の心もちょっとずつ「澄み」ますように。



                 
        

ジイさまのおかげかも

2017/ 06/ 06
                 
あまり人様のこと云々いうもんじゃないんだけど
夫実家のことを書いてたら、あるジイさまのことを思い出した

一昨年の9月に夫は入院し手術を受けたのだが
術後の後遺症状でICUを出たり入ったりしていた

今でこそ色々なことを諦めたり受け入れたりして
ようやく落ち着いてきたのだが、当時は本人も家族も
毎日が戦い、という日々だった


まさにそんな最中に、かかってきた一本の電話
相手は知らないどこかのジイさま
(名乗ったけど私の頭はスルー)

一方的に
「オタクの実家、空き家だよね」的に話し始める

なに?これって個人情報漏洩?
ウチのようなつまらない一個人でも
夫の留守中にこんな電話は気味が悪い
まして、その夫たるや生きるか死ぬかという時に…

ジイさまはお構いなしに話し続ける
「あの家、欲しいので、私に売ってくださいな」と。

実に気味が悪く、切ってしまおうかと思ったが
どうもそのジイさま、実家近くの喫茶店の常連さんらしく
そこのママさんから空き家情報を仕入れ
息子宅であるわが家へ電話をかけてきたようだ

今それどころじゃないよ、って気分だったが
ご近所経由ってことでは、そうムゲにも出来ない

申し訳ありませんが売る予定はありません
と丁重にお断りするも、ジイさまは納得してくれない
ご主人と話をさせてくれ、としつこく食い下がる

見ず知らずの人に、夫の病のことまで言いたくなかった
当分の間主人は不在です、そう言って何とか電話を切ったが
強引なジイさまにかなり引いてしまった

それから同じことが一度

そしてまたもう一度

ジイさまはかなり本気だった
夫はまだ不在、そもそも売ることはないと断る私をムシして
熱く自身の計画を語り始めた

今はマンション暮らしだが、やっぱり歳とったら戸建てがいい
リフォームして夫婦で住んで、将来は長男に相続させる
長男家族がまたいいように建て直してもいいし。

値段はなるべく希望に添う
手続き等が面倒なら、それもお手伝いする
うんぬん

ジイさま、もう止まらない

いくら私が断わろうとも、
どうしてもご主人と話したい、いつ帰るのか、としつこく聞く
(いつ帰るか、私が聞きたいよ)

嫁の分際で何言っとるんだ、あんたじゃ話にならん
ジイさまのそんな心の声が聞こえてくるようだった
世代的にはそれもまぁ無理はない

仕方なく、夫が入院していることなど事情を話して
ようやく納得してもらう
年寄り相手でなかなか難儀してしまった




それにしても
それまでどうでもよかったあの実家
他人さまから熱望されて初めて
私にも欲のようなものが出てきた

将来知らないジイさまの息子の土地になるくらいなら
私の子供に譲るわよ
とりあえずそれまでは私が管理しなきゃね

ってことで、ブツブツ言いながらも
時々は夫の実家に行って風を通すワタシ

ある意味これも
あのジイさまのおかげかもしれない
今となっては、すこーしだけ感謝、かな



ミントがワサワサ
爽やかな香りに心底癒される

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夫実家の庭は苦手

2017/ 06/ 04
                 
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うちの花は、こんなふうに小さなかわい子ちゃんばかりだけれど
夫実家の庭には、松とか南天とか小手鞠とか、その他もろもろ
何かよく分からない和風な樹木の方々がいっぱい住んでいる

ハッキリ言って あの和風な方々 苦手
とうてい私などの手に負えるものではない

以前は、実家loveな夫が枝切りをしていたが
その夫はもう何にも出来ない人になってしまった
でも植木たちにしてみれば、そんなこと知ったこっちゃない
おかまいなしにワサワサ茂る


一昨年、夫が入院してしばらくの間は、空き家のことまで
全然手が回らなかった
でも、しばらく放ってる間に庭木たちは空高くどんどん茂り
小手鞠の枝はびろーんびろんと道に大きくはみ出していた
さすがにこれはマズイと思い、近くの便利屋さんに頼んで切ってもらった

最近またワサワサしてきたので、枝切りの予約をお願いした
これでもう3回目
植木屋さんに頼むよりリーズナブルだと思うけど
それでもね…(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

家の中は、物を捨てていけば終わりが見えてくるけど
植木は生きているものだから、ハイおしまい ってわけにいかない

夫の実家の管理、ほんと負担だな〜

せめて今回は、出来るだけバッサリ切って
コンパクトにしてもらおう



家は古いから無価値
でも土地代はちょっとまとまったものになりそう

いっそ売っぱらって現金化して全てを捨てて私は高飛び


なーんてね





                 
        

ボロな暮らし

2017/ 06/ 03
                 
網戸を洗って悦に入ってたけど
破れかけてるものが何枚かあって
結局張替えを頼むことにした
あーあ やっぱりあちこちがボロな暮らしだ

網戸って自分で張り替える人もいると思うけど
私にはどうも出来る気がしないし
そもそもやる気がわいてこない

シールタイプの壁紙貼ったり、ちょこっとペンキを塗ったり
DIYは嫌いじゃない
でも、それはインテリア的な小綺麗さを求める時だけ

パッと見のミテクレさえ良ければいい、
そもそも私という人間はそういう考えの人間なのだ
これがいかんのだよね…

でも、夫が病気になってからは思うところ多々あって
そんな考え方も少しずつ変わってきた

人間としてこのままじゃいけない、みたいな。
ちょっと大げさかもしれないけど
とにかくこれまでの自分の嫌なところ、
ダメなところが炙り出されてきたような気がする
夫の悪口ばかり書いてるけど
一応自分のことも反省してるのよ
だから、夫が入院してから、あちこち片付けつつ
断捨離している

といいつつ、また夫の悪口だけど…
夫には病的に物を溜め込む癖があった
自分の物が減ることに恐怖を感じているようだった
いくら片付けるように頼んでも聞いてはくれない
とにかく異常 × 100

でも、諦めてそんな夫を容認してきた自分にも
それなりの責任があるのだと思う


ボロな暮らしだけど、今は夫の分までちゃんと片付けて
キレイにしていきたいと思っている
そして、なるべく自分で出来ることは自分でする
ま、網戸は頼んじゃったけどね




ちょっと花びらが傷んでるけど
それでも咲いてくれてる
バリエガータ・デ・ボローニャ

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「光」

2017/ 06/ 02
                 
55歳になって、たった一つだけ良いことがあった
それは、近くの映画館で
1100円で映画が観れるようになったこと

夫が入院中の身の上ではあるけれど
映画はそんな私のいい気分転換だ
真っ暗な中でコーヒー片手に
一人でスクリーンを見ている時間が好きだ

ここでは、6本映画を観ると
あと1本が無料で観れる
スタンプがたまったので、今日は私の映画無料day

選んだのは、河瀬直美監督、永瀬正敏主演の「光」

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視覚障害者向けの映画の音声ガイドを制作する女性と
視力を失いつつあるカメラマンのラブストーリー

若い人には少し難しいかもしれない
くみ取ってね
分かってね
自分で考えてね
そう言ってるような気がする

私はいい映画観たな、ってそう思った


                 
        

5月の最後に

2017/ 05/ 31
                 
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今はすっかり落ち着いているのだが
かなりバラに夢中になっていた頃がある

その頃の5月といえば、朝4時起きで手入れをしてから
仕事に行っていた
帰宅して家事を済ますと、また夜にかけて手入れをした
5月が終わる頃にはもうクタクタ
それでも、バラは私にとって家族のように大切なものだった


けれど、何年くらい前だったか
もうバラなんてどうでもいい、
ふとそんなふうに考えている自分に気づいた
バラも庭もどうでもいいから
ここから逃げだしたい
そんなふうに思う自分の心に気づいた時
私もう結構ヤバいかも、初めてそう自覚した


そんな思いにフタをして、その後も過ごしてきたけれど
庭は少しずつ少しずつ小さくしてきた
いっとき夢中で増やしたバラも、その後増えてはいない


今は残したバラたちを小さく仕立てながら
細々と楽しんでいる


バラなんてどうでもいい、と今はもう
そんなふうには思わない
でも来年のことは分からない
夫のことはもちろん、自分の気力、体力の問題もある

やっぱり庭は少しずつ小さくしていかなければと思う


ありがとう、5月のバラたち

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